済生会グループのご案内

済生会は日本最大の保健・医療・福祉の総合グループ

済生会の施設・事業数(平成25年4月現在)医療施設100、介護老人保健施設29、社会福祉施設153、公益事業施設190

済生会は明治44年5月30日、明治天皇の済生勅語によって創立
済生会ホームページ:https://www.saiseikai.or.jp/

済生勅語

朕惟フニ世局ノ大勢ニ随ヒ國運ノ伸張ヲ要スルコト方ニ急ニシテ 經濟ノ状況漸ニ革マリ人心動モスレハ其ノ歸向ヲ謬ラムトス政ヲ為ス者宜ク深ク此ニ鑒ミ倍々憂勤シテ業ヲ勸メ敎ヲ敦クシ以テ健全ノ發達ヲ遂ケシムヘシ若夫レ無告ノ窮民ニシテ醫藥給セス天壽ヲ終フルコト能ハサルハ朕カ最軫念シテ措カサル所ナリ乃チ施藥救療以テ濟生ノ道ヲ弘メムトス茲ニ内帑ノ金ヲ出タシ其ノ資ニ充テシム卿克ク朕カ意ヲ體シ宜キニ随ヒ之ヲ措置シ永ク衆庶ヲシテ頼ル所アラシメムコトヲ期セヨ

(大 意)
私が思うには、世界の大勢に応じて国運の発展を急ぐのはよいが、我が国の経済の状況は大きく変化し、そのため、国民の中には方向をあやまるものもある。 政治にあずかるものは人心の動揺を十分考慮して対策を講じ、国民生活の健全な発達を遂げさせるべきであろう。 また、もし国民の中に、生活に困窮して医療を求めることもできず、天寿を全うできないものがあるとすれば、それは私が最も心を痛めるところである。これらの人たちに薬を与え、医療を施して生命を救う──済生の道を広めたいと思う。 その資金として、ここに手元金を提供するが、総理大臣は私の意をくみとって措置し、永くこれを国民が活用できるよう希望するものである。


役 割

済生会の使命は、本会創立の出発点となった「済生勅語」の精神を現代に生かし、医療に恵まれない人々に医療を提供することはもちろん、様々な社会的弱者に対し目を向け、積極的に手を差し伸べる幅広い対応を行うことです。
病、老い、障害、境遇・・・すべてのいのちに寄り添い続けます。


目 的

社会福祉法人恩賜財団済生会は、済生勅語に基づく恩賜財団済生会創立の趣旨を承けて済生の実を挙げ、社会福祉の増進を図ることを目的としています。


沿 革

  • 明治44年2月11日

    明治天皇「済生勅語」とお手元金150万円ご下賜

  • 明治44年5月30日

    恩賜財団済生会設立許可(創立記念日)

  • 明治44年8月21日

    初代総裁に伏見宮貞愛親王殿下、初代会長に桂太郎総理大臣

  • 明治44年9月9日

    医務主管に北里柴三郎

  • 大正1年10月24日

    本会紋章(なでしこ)制定

  • 大正3年1月10日

    巡回治療班組織される

  • 大正5年4月1日

    看護婦講習所開設認可

  • 大正12年4月2日

    第2代総裁に閑院宮載仁親王殿下

  • 大正12年9月1日

    関東大震災 被災病院、診療所多数

  • 昭和20年8月21日

    第3代総裁に高松宮宣仁親王殿下

  • 昭和27年5月22日

    社会福祉法人に認可される

  • 昭和36年5月30日

    創立50周年記念式典、昭和天皇ご臨席

  • 昭和37年10月7日

    巡回診療船「済生丸 I 世号」進水式

  • 昭和56年5月30日

    創立70周年記念式典、昭和天皇ご臨席

  • 昭和62年2月3日

    高松宮宣仁親王殿下 薨去

  • 昭和62年4月21日

    第4代総裁に高松宮宣仁親王妃喜久子殿下

  • 昭和62年5月28日

    高松宮記念基金 創立

  • 平成3年5月30日

    創立80周年記念式典、天皇皇后両陛下ご臨席

  • 平成6年9月7日

    第12代会長に豊田章一郎 氏

  • 平成12年4月3日

    高松宮宣仁親王妃喜久子殿下 名誉総裁に 第5代総裁に寬仁親王殿下

  • 平成13年5月30日

    創立90周年記念式典、天皇皇后両陛下ご臨席

  • 平成16年12月18日

    高松宮宣仁親王妃喜久子殿下 薨去

  • 平成23年5月30日

    創立100周年記念式典、天皇皇后両陛下ご臨席

  • 平成24年6月6日

    寬仁親王殿下 薨去

  • 平成25年4月1日

    第6代総裁に秋篠宮文仁親王殿下

  • 平成29年4月1日

    第13代会長に有馬朗人

  • 令和4年2月27日

    創立110周年記念式典、秋篠宮文仁親王殿下ご臨席

 

済生会 紋章の由来

露にふす 末野の小草 いかにぞと あさ夕かかる わがこころかな

生活に困窮し、社会の片隅で病んで伏している人はいないだろうか、いつも気にかかってしかたがない
初代総裁・伏見宮貞愛親王殿下は明治45年、本会事業の精神を野の撫子に託して歌にお詠みになり、いつの世にも、その御心を忘れないようにと、大正元年から撫子の花に露をあしらった紋章を用いています。

ページトップ